ゆとり世代から見たZ世代

ゆとり世代。世代間ギャップや新しい時代のマネジメントを考える

「褒める」とか「叱る」よりフェアに接することが大事

人を育てることにおいて、一番よく聞くのが「褒める派 vs 叱る派」だ。

時代的には「褒める派」が主流で、「叱る派」は肩身が狭いのかもしれない。

 

個人的にはそこは重要じゃないのではと思う。ずっと𠮟る人はもちろん嫌だし、かといってずっと褒める人は胡散臭さを感じて信用できない。

 

重要なのは「誰にでも対等に接する」ことだ。若手でも、ベテランでも、𠮟るべき時は叱り、褒めるべき時は褒めればいい。それがフェアである人についていきたいと思う。若手だから褒めるとか、ベテランだから叱るというのは順序が違うし、ビジネスの世界でそういう遠慮はいらない。

 

僕自身、厳しい上司にあたったことがある。ただ、その人はフェアだった。厳しいことは言うが、特定の人にだけではなく、みんなに対等に厳しい。それは上司の上司や他部署に対しても同じで、おかしいと思ったときは自分の部下のために戦ってくれた。そういうフェアさがあったから、厳しい人ではあっても嫌いにはなれなかった。

 

ビジネスの世界に年上も年下もないから、「若手を叱ると辞める」なんて気にしなくていい。気にするべきは、誰に対してもフェアに接しているかどうかだ。「若手の成長のために褒める・叱る」なんて嫌いだ。成長するべきは、若手もベテランも部長も社長も一緒だ。若手だけ褒めたり叱ったりするのは、ベテランにとってもフェアじゃない。

 

 

 

 

 

流行りのお洒落な言葉ではなく、独自の哲学にこそ人はついてくる

"思考停止ワード"には気をつけろと先輩から教わったことがある。

 

会議の結論が「これからも方向性を検討する」になったり、部下への指示で「もっとあるべき姿を描いて」のようなワードが出たら気をつけた方がいい。

 

「あるべき姿」とか「方向性」とか「戦略」とか言葉はお洒落ので、それを言っているだけで「仕事をしているつもり」になってしまう。でも、ワードを言っている間に、実際は1円の利益も生み出していないし、何も決まっていない。

 

言葉だけで人はついてこない。言葉に中身があってはじめて人がついてくる。上司が言う「あるべき姿」とは具体的に何か、それに沿った行動を普段の仕事でしているか。若い人はそこを見ている。

 

僕は学生時代、「これからの時代はコミュニケーション能力が大事だ」と色々な人から言われた。僕は嫌な人間だったので「じゃあ、

コミュニケーション能力とは具体的にどんな能力なんですか?」とよく聞き返していた。

 

僕が尊敬している人はこう語った。

「自分が思っていることを100%伝える事はできない。80%しか伝わらなくても、相手がそれを噛み締めて考えて、相手の中で120%になる。そんな風に伝える力、具体的には礼儀や語彙力や相手のことを想像する力こそ、コミュニケーション能力だ」

 

これが正解か間違っているかは重要ではない。その人は、僕の嫌な質問にも自分の言葉で答えを返せるぐらいの哲学を持っていた。僕はこの人は流行りのワードを語る人とは違う、本物だと気づいた。

 

「あるべき姿」「コミュニケーション能力」「DX」といった流行りのワードについて、原稿なしで自分の言葉で語れるくらいの哲学を持つことが、いつの時代のビジネスマンにも必要だと思う。

 

「楽して稼ぐ」は悪いことではない

働く理由は何か。

 

ぶっちゃけ、「食べていくため仕方なく」というのが過半数なのではないか。そのうえで、「できるだけ楽してお金をもらう」ことを追求してホワイト企業を探したり、転職するのは僕は悪いことだとは思わない。

 

なんでこんな生々しい話をするかというと、若手が辞めないように「キャリアの話をもっとしよう」という人が凄く多いからだ。

 

若手やZ世代がそれを求めているならいい。でも、そうじゃないなら逆効果だ。「出世なんていい。働いた分、安定してお金を貰えれば」という人にとって、そんな話は苦痛でしかない。

 

最近、出世を断りたいとか、出世したくないという話も話題になっている。この原因は、「そもそも大半の社員は働きたくない」という現実を見ようとせず、キャリアのような美しい言葉で誤魔化して、ベテランを酷使してきたことから起こるのではないか。

 

繰り返すが「楽して稼ぐ」のは悪いことではない。ベテランや上司が辛そうに長時間働いている姿を見ると、若手はそんな風になる前に逃げてしまう。

 

ベテランや上司が見せるべきは「楽して稼いでいる」姿なのだ。

 

Z世代のスピード感から学ぶ

時代の変化のスピードが物凄く速くなっている。

 

僕が小学生の頃はネット黎明期だったのに、今やネット環境が無ければ生きていけない。アニメやドラマの流行り廃りもあっという間だし、SNSで誰でも情報発信できるようになった。

 

そんなスピードの速い時代を生きてきたZ世代にとって、会社の意思決定が遅いことや変化が遅いことは結構なストレスになる。(そもそも、昭和のスピード感のままの会社は今の時代に置いていかれてしまう気がするが)

 

「すぐ決めて、すぐやる」それがこれからの時代に価値をあげていく。3年かけた超精密な検討より、1ヶ月でラフ検討し大丈夫そうならGOくらいのスピードの方が、大きな価値を生み出す。今の時代、検討している3年の間に世の中が大きく変化してしまうからだ。

 

あなたの会社は「検討」や「分析」ばかりで「決断」を先延ばしにしていないか。物凄く時間をかけて細かいところまで分析することで仕事をしたつもりになっていないか。

 

スピード感の速いZ世代はすぐにそういう職場には見切りをつけて離れてしまう。長期の精密な検討がアウトプットになった時代は終わり、スピードのある検討と実行がアウトプットに繋がる時代が始まっている。

 

スピード感は「手抜き」や「雑」ではない。短い時間で最大のアウトプットを出すことこそ、最も重要なのだ。

 

正解の数が増えた時代。Z世代は「決める」ことから逃げてはいけない

Z世代の大きな弱点として「決める」ことが苦手な傾向にある。

 

これはネットの普及で様々な価値観に触れる機会が増えたからだと思う。僕の父が小さい頃のアニメは「正義のヒーローが悪を倒す」のが王道だったそうだが、僕が見てきたアニメは「ある正義と別の正義がぶつかりあう」ものこそ王道で、主人公が悪というパターンすらあった。考えすぎかもしれないが、価値観の多様化が生み出した変化だと思っている。

 

月並みな言葉を使えば「正解のない時代になった」というが、僕はより正確には「正解の数が増えた」のだと思う。例えば、昔は大手企業の社員や公務員になってこそ理想という考え方があったらしいが、今の時代はフリーランスベンチャー入社、Youtuberなど色々な選択肢があり、そのどれもが正解だ。

 

そんな選択肢にあふれた時代を生きていたからか、Z世代の弱点として「どちらも正解」の選択肢の中から、どちらかを選ぶことが苦手な人が多いのだ。

 

僕自身がそうだった。所属していた音楽サークルでは部長のようなことをしていたのだが、曲を決める時「お前はどっちの曲がいい?」と言われるのが嫌いだった。どちらもいい曲だったし、どちらかがいいと言うと反対派から怒られてしまうからだ。

 

社会人になった今だからわかるが、この時の僕の態度は一番ダメだ。仮にもリーダーである以上、どちらも正解の選択肢からどちらかに決めなくてはいけない。どちらも正解でありリスクはあるが、それでも決断し、そのリスクはリーダーである僕が背負わなければいけなかった。

 

Z世代は本質的に真面目で優しい人が多いから、二つの正義から一つを選べない人が多い。が、ビジネスの世界ではどちらを選ばなくてはいけない時が必ず来る。まずは小さいことでもいいから、「決断する」くせを若いうちからつけておいた方がいい。

 

 

 

 

 

若いうちに失敗していない人は、役職についた時大失敗する

大きなプレゼンを控えた後輩から「どうすれば本番で成功するでしょうか?」と聞かれたことがある。

 

なかなか難しい質問だったけど、僕はこう答えた。

「練習で、もの凄い数の失敗をすることじゃないだろうか」

 

例えば車メーカーが新しい車種を発表する時、没になったものが何百案もある。

料理人が新しいメニューを作る時、何百回も試作/試食を繰り返す。

初めて補助輪なしの自転車に乗るとき、誰だって何十回もこけただろう。

 

勿論、ビジネスの場において失敗は無い方がいい。でも、やってみて失敗して、やり方を変えてまた失敗して…という試行錯誤がよいアウトプットを生み出すことは事実だ。もし「失敗したことがない」人がいたら、その人は「何もしていない」人だ。

 

その後輩が練習で失敗を恐れて当たり障りのないことしかしなかったら、たぶん本番で大失敗していたと思う。彼は練習で何度もダメ出しをされたが、その度に資料や話し方を修正して試していた。「こんなに失敗ばかりで大丈夫か」という人もいたが、僕は(そして恐らく彼も)「こんなに練習で失敗しているから本番は絶対に大丈夫だ」と考えていた。結果的に、本番でのプレゼンは今までで一番良い出来だった。

 

Z世代の課題として「失敗を異様に恐れる」ことがある。凄く真面目で慎重だからだろうが、僕はこれが凄くもったいないと感じる。若いうちに失敗をしなければ、歳をとって役職に就いた時に、より責任の大きい場面で失敗をしてしまう。

 

繰り返すが、失敗を歓迎するわけではない。ただ、「失敗を恐れて何もしない」のはもっと歓迎しない。だから僕は、「失敗したら俺のせいにしていい/俺が言ったと言っていい」と常に後輩に言っていた。

 

 

 

 

 

 

「知らない」ことを恥ずかしがってはいけない

僕は小学生の頃、本を読むのが好きだった。スポーツや音楽は苦手だったから目立つ存在ではなかったけど、「クラスで一番の物知り」という立場はぎりぎり守れていたと思う。

 

ただ、今の時代「物知り」の価値は無くなっていくのかもしれない。知らないことがあっても、スマホで調べればすぐに情報が見つかる時代だ。だから僕は、「今の若者は○○を知らない」なんて絶対に言いたくない。

 

誰でも知らないことがあるのは当然だ。僕が70-80年代の音楽をほとんど知らないのと同じように、僕の父は今のミュージシャンの名前をほとんど知らない。それでどっちが偉いとかいうことは無い。

 

ところが仕事になった途端、「知らない」=「恥ずかしい」と考えてしまう人が多い。上司が部下に「なぜそんなことも知らんないんだ」と責めたり、逆に部下が「知らない」と言えずに後で大問題になったり。

 

相手が先輩だろうが後輩だろうが、自分の知らないことを知っている人を僕は尊敬したい。相手が後輩でも恥ずかしがらず、「僕はこれを知らないので教えてください」と伝えるようにしたい。

 

小学生の頃は「物知り」キャラを守ろうと必死だったけど、職場で「分からない」「教えて」と毎日騒いでいる今の自分の方がずっとマシな気がする。